『信長の野望 出陣』をきっかけに、気づけば少しずつ増えてきた名城図鑑。

このページでは、これまで実際に訪問して登録してきたお城を、ゲーム内の名城図鑑スクショとともにまとめています。

大阪城、岸和田城、芥川城、千早城、和歌山城、大和郡山城、二条城……と、最初は近場中心ですが、歩いて行った城もあれば、登山みたいになった城もあり、行き方も楽しみ方もそれぞれ。

各お城の詳しい訪問記を書いたものは、個別記事へのリンクも順次追加していく予定です。

「名城図鑑を埋める旅」の記録であり、うま吉の城めぐりコレクションでもあるこのページ。

うま吉

これから少しずつ増やしていきますので、信長の野望 出陣を遊んでいる方や、関西近郊でお城めぐりをしてみたい方の参考になればうれしいです。

一城目|No.054 大阪城

豊臣秀吉が、石山本願寺の跡地に築いた城。
豊臣期の天守は五層で黒塗りであったと考えられている。大坂夏の陣で落城するが、江戸幕府により白色の天守が再建される。のち、落雷を受けて焼失するも、昭和期に復興天守として復活した。四層目までが徳川期の、五層目は豊臣期の天守が元になっている。

二城目|No.161 岸和田城

大阪府岸和田市にある平城で、16世紀頃から確認される。羽柴秀吉の紀州攻め後、秀吉の叔父・小出秀政が天守を整備するが、江戸時代後期に焼失した。往事は五層天守であったことが絵図などから確認されている。昭和に三層三階の復興天守が再建された。

三城目|No.159 芥川城

大阪府高槻市の三好山にある山城。永正十二年(1515)頃に管領・細川高国が築く。摂津最大の山城で軍事の要衝にあった。高国を追い落とした細川晴元が大改修を行い、晴元を追い落として三好長慶が入り、時の天下人が居城とした。のち織田信長の上洛軍に属す。この時代の山城には珍しい石垣がある。

四城目|No.055 千早城

楠木正成の城。河内と大和の国境にあった。金剛山の尾根筋に築かれた天然の要害で元弘三年(1333)、鎌倉幕府の大軍に包囲されるが、正成は巧みな戦術で守り抜いた。続く南北朝の争乱期も楠木氏が入って南朝方の拠点となったが、明徳三年(1392)、北朝方に攻められ落城し、廃城となる。

五城目|No.062 和歌山城

天正十三年(1585)、紀州を平定した羽柴秀吉が、弟・秀長に命じて築いた。関ヶ原合戦後、浅野幸長(よしなが)が入り、天守や城下町を整備した。その後、徳川家康の十男・頼宣が和歌山藩主となり、紀伊徳川家が成立。8代吉宗と14代家茂の2人の将軍が輩出した。岡口門などが現存する。

六城目|No.165 大和郡山城(郡山城)

奈良県大和郡山市にある平山城。織田信長の支援の下、筒井順慶が城主となり天守を造営した。さらに豊臣秀長、増田長盛による大規模な改修が行われ、惣構えに。関ヶ原の戦い後、多くの建造物が他城に移築されたが、大坂の陣後に入封した水野氏ほか歴代の城主により再び城の改修と城下の整備が行われた。

七城目|No.053 二条城

天下人となった徳川家康が将軍上洛の際の宿泊所として築城。京都所司代の板倉勝重が普請奉行を務めた。江戸時代の半ばには将軍が上洛する機会がなかったが、幕末には14代将軍家茂、15代将軍慶喜が入城した。慶応三年(1867)、慶喜が大政奉還の意思を表明した城でもある。